「そろそろケリをつけよう」
日常でもよく耳にするこの言葉。
「えっ?今日日聞かないなぁ」と思った方もおられることでしょう。
言葉の響きからなんとなく「蹴り(蹴る動作)」から来たと思いがちですが、実はそれだけではない、もっと深い背景があるかもしれません。
今回は、「ケリをつける」の意外なルーツをたどりながら、日本人の“終わり”に対する感覚を探っていきます。
「ケリ」は蹴ること?──よく知られた説

まずは王道の説から。
「ケリをつける」は、「蹴る(ける)」の名詞形「蹴り」から来たという考え方です。
古くから相撲や武道では、相手を蹴って倒すことで勝負を決める場面がありました。
たとえば、古代の相撲においては、
「蹴手繰(けたぐり)」という蹴り技が重要な決め手とされていました。
つまり、物理的に蹴りを入れて勝負に終止符を打つ。
この感覚が、比喩として日常の「決着」にも使われるようになったと考えられます。
しかし――
これだけで「ケリをつける」のニュアンスすべてを説明できるでしょうか?
実は「結び」から来た?──もうひとつの説

もうひとつ、興味深い説があります。
それは、「ケリ」は**「結(けつ)」=結び、終わり**に由来するのではないか、というもの。
「けつまつ(結末)」という言葉にもある通り、
けつ=物事の締めくくり・終着点
を表します。
そこから、話し言葉の中で音が変化して「けり」になった、という考え方です。
つまり、「ケリをつける」とは、
蹴って終わらせるのではなく、物事をきちんと結んで締める
という、日本人特有の**「円満な終わり」**を重視する感覚に基づく表現なのです。
「けり」と「結び」──日本文化に見る“終わり”の美学

実際、日本文化には「結び」を大切にする風習が数多くあります。
神事の「結び」
神社の儀式では、「縁結び」や「結界」など、
目に見えないものを“結ぶ”ことで守るという考え方が深く根づいています。
結婚式と「結び」
結婚もまた、二人の人生を「結ぶ」儀式。
結びの力が、新たな未来への出発点とされてきました。
こうした文化背景を踏まえると、
「ケリをつける」という言葉にも、単なる勝ち負け以上の、
“整えて終わる”“円満に締めくくる”
という日本的な美意識が反映されていると考えられるのです。
古典の「けり」とのつながり

さらに言うと、古典文学に頻出する助動詞「けり」も無関係ではありません。
「けり」は、物語や歌の終わりでよく用いられ、
過ぎ去った出来事に対する感慨や余韻を表す役割を持っていました。
たとえば『伊勢物語』では、
美しい自然や一瞬の恋を詠んだあとに、しみじみと「けり」で締めくくられます。
そこには、単なる事実の報告ではなく、物事が終わることへの情緒が込められていたのです。
「ケリをつける」もまた、単なる終結ではなく、
終わることに意味を持たせる文化的な感性と深く響き合っているのかもしれません。
まとめ:「ケリをつける」に込められた日本人の心

- 「蹴る」から来たという説:力強く決着をつけるイメージ
- 「結び」から来たという説:円満に締めくくる美学
どちらの説にせよ、「ケリをつける」という言葉には、
終わりを大切にする日本人らしい心の在り方が映し出されています。
何事も、ただ終わらせるだけではなく、
どう終えるか、どう結ぶか――
そのプロセスこそが、美しい「ケリ」なのかもしれませんね。
よし、これを機会に、色々と蹴りをつけなきゃいけないことをやっつけていこうと思います😄



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